ブログはじめました

千葉の田舎にある小さなNPOで働き始め5年目になった。
普段は精神障害のある人を対象とした障害福祉サービス事業を行なっている事業所で働き、勤務時間外や休日などを利用して、法人が独自に行なっている制度外のあれこれに細々と参加し、様々な立場の人たちと“まちづくり”なんてことも考えている。

どうでもいいような、けれどもどうにも文字にしておきたいあれこれが日々たくさん身に降りかかる中で(時には自ら浴びにいっているけれども)、少なくとも文字として残しておくことは必要だと思い、なんとなくブログを始めることにする。

「障害」に関係する分野では、一般的に2003年の支援費制度や2005年の障害者自立支援法の施行により、福祉サービスを受ける人が増え、障害があっても地域で暮らしていけるための基盤が作られたとされる。
2000年には特定非営利活動促進法も制定され、それ以前から任意団体として活動していた団体が、NPO法人格を持って活動を始め(私の働いているNPOもそれにあたる)、法律に沿った福祉サービスの提供も始めた。

ただ、現状はどうだろう。かつては何かしらの社会問題を解決したり、解消に向けた取り組みなどを行う組織として活躍が(勝手に/安上がりだからと)期待されていたNPOも、法人格の取りやすさから、大した理念もない(ように思える)NPOがほとんどになってしまったのではないかと感じてる。
少なくとも、障害者福祉に関係するNPOの多くでも、上記のような状況は見られ、確かに障害のある人に対するサービスは提供するものの、その見据える先には事業所の運営や拡大、利用者の取り込みetc があり、例えば制度上の課題、問題を訴えたり、目の前に見える/関係する人たちを通じて見える「社会」というところにまで、目が向かない(目を向けようとも思わない)団体もとても多くなっているのが現状だと感じている。
結果として生じるのは、制度の貧困化や囲い込み、生活の制度による分化、地域からの「隔離」、過剰なボランタリーなものの称賛など、目の前にいる人や関わる人、ひいては自分自身をも蔑ろにしてしまう未来なのではないかと思うのだが。

「社会」をどう見るのか。
今目の前にいる人に何を見るのか。
暮らしている“まち”に何を見るのか。

多くの人たちは見なくてもいい/見たくない現実がそこにはあるのだと思う。
ジョック・ヤング『後期近代の眩暈 ―排除から過剰包摂へ― 新装版』でいう「過剰包摂」の社会。
社会的には包摂しているといいながら、現実的には生活上排除している現状。
そんな“いま”を少しでも溶きほぐしたいと感じながら、小さな石を投げ続ける。
小さな石を投げる自分にもまた、様々な違和感を感じながら。
そしてその違和感を離さないように。